2012年09月11日(火)

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」マタイ6:33


主は、神の国とその義とをまず第一に求めるようにと、言われた。そうするなら、神の国と義を与えられ、それに加えて、生活の必要もすべて与えられると。これをよく逆にしてしまう。子供が菓子についている、おまけが欲しくて、菓子を買いあさり、おまけを集め、大喜びし、菓子など見向きもしない。

私たちはどうだろう。「それに加えて与えられるもの」を、求めて必死になっていないだろうか。生活の必要のため、又、それ以上の、より豊かな生活のために、欲しいものを目の色を変えて追い求める。本末転倒で、与え主のことは見向きもしない。名誉や地位、人からの賞賛も欲しくて懸命に求めるのだが、主ご自身を求める事は無い。

おまけが欲しくて菓子を買う子供のようだろうか。神の国は、神の支配のことであり、主のご愛による支配に心を向けて行くことだ。神の下さるものではなく、神ご自身に心を向けて行くことが大切だ。その時に初めて、思い煩いも心配も解決して行く。「何を食べるか、飲むか、着るか、心配するのはやめなさい」。

主を求めないで、「それに加えて与えられるもの」を求めて行くなら、人生最後まで、思い煩いから解放される事はない。的がずれていないだろうか。主を第一にして行く時、「あすの心配は無用」であり、その日〃の労苦により、達成感、充足感を与えられ、喜び持って生きて行ける。
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神のご支配を認め、神のご支配を求めて行くなら、自分でまだ来ない先の日々を思い煩うことから守られる。あれが欲しい、あれをしようと自分の明日を支配しするのをやめよう。神の与えて下さる明日は完全だ。