2012年12月15日(土) 「・・肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです・・自 分のしたいと思うことをすることができないのです」ガラテヤ5: 17
「・・肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです・・自 分のしたいと思うことをすることができないのです」ガラテヤ5: 17
私たちには、新しい性質と古い性質がある。主に従おうとする新し い性質と、それを阻み、自分を中心に生きようとする古い性質があ る。二つの性質は絶えずあらがう。 主は「〜〜をするように」と示されるが、肉は「う〜ん。好きだっ たらしよう」「嫌だったらしなくてよいのでは」「今は都合悪い」 「面倒だ」と思う。「今、祈るように」と御霊の促しを感じるが、 肉は「今は疲れている」「祈る気がしない」「時間が無い」「また 後で祈ろう」と言う。ずるずると御声を流してしまい、従わない。 「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう」「この二つは 互いに対立していて、あなたは自分のしたい事ができない」、御言 葉の通りだ。新しい性質は御心に従おうとするが、肉は逆らう。 「そんな事をして、何の得になる」「時間と労力の犠牲を払う事 はしんどい」「したくない」・・。 どうすれば従えるのか。「御霊によって歩みなさい」そうすれば、 肉の欲望を満足させることはないと。肉の思いをそのままにして、 流されるのではなく、「したくありません」と、まず主に向かい、 祈ることだ。 「面倒です」「犠牲は嫌です」と気持ちをそのまま祈る。そこで、 主と交わりが生じ、「したくないが、助けて下さい」と、自分を明 け渡して行く時、御霊の実際的な助けが臨む。不思議に御心を行な えるようになる。 ・・・・・・・・・・・・・ 絶えず二つの性質が葛藤する。新しい性質に御霊が働きかけ、肉に サタンが働き、どちらもが引っ張る。いつも二つの思いがある。そ れ自体で悩む必要は無い。意志を向けた方が結実して行く。行なう 力は無いが、そこに御霊が働かれる。まず気持ちをあるがまま告げ る事から始まる。