2013年01月15日(火)

「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」コロサイ3:13


赦せない心ほど、辛く苦しいものはない。どんなに楽しい時も、赦せない人がいるなら、その事が心浮かぶと、心が暗くなる。重苦しく、辛い。その相手が前にいようといまいと関係無い。結局、ずっと牢獄の中だ。閉じこめられたままだ。どんなに楽しい時も、心は暗くなってしまう。結局、自分の人生が赦せない相手によって、コントロールされる事になる。永久に縛られてしまう。そこから出るには、相手を赦すことだ。

相手を赦すのは、自分のためだ。自分が牢獄から解放されるためだ。「主があなたを赦してくださったように」、自分が人を赦すためには、自分が、主からいかに赦されているかを知ることだ。あの大きな罪、誰にも知られたくない罪、恥ずかしい罪、面目無い罪・・主は完全に赦し、無罪放免にして下さったのではなかったか。二度と思い出さないと言って下さった。どんなに有難く感謝な事だろう。

赦すことが出来ないなら、正直に「赦せません、赦したくありません」と主に告げ、助けを求めよう。御霊の働きによって赦せるようにして下さる。しかし、赦しは選択であり、決意だ。
赦したくないが、赦すことを選択することであり、自分にはできないが、そうしようと決意することだ。無力の中に、御霊が働かれ、御霊の力によって赦せるようにされる。
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赦せず相手を攻撃する思いも、外には出さなくても醜い罪だ。自分勝手な私達がいかに主に無限に赦され、無限に愛されているだろう。怒りが来る時、主の愛を思い起こそう。