2013年08月15日(木)

「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです」Tヨハネ2:16


「肉の欲」とは、自分の知恵と自分の力で、自分の思い通りに生きて行こうとすることだ。自分の必要を、神によってではなく、自分の力で、自分の手で満たそうとする誘惑だ。「神のみこころは?」「主はどう思っておられるのか?」という、主のお心を問い、求めて、主とひとつに生きるのではない。

神に関係なく、これがどうしても欲しい、絶対に手に入れたいという肉の欲望だ。主がどうあろうと、どうあっても欲しい。どうしても手に入れないと満足できない。荒野で、主は悪魔から誘惑を受けられた。40日の断食の後、非常な空腹の中で、自分で石をパンに変えて食べよというものだ。

御父に尋ねて、御父のお心はどうかでなく、御父から離れて、自分で行動して、自分でパンを得よとの誘惑だ。そうできる力があるのだから、そうすればよいと。主の御心はどうかでなく、自分の思いが第一だ。

又、悪魔は私達の足らない部分に目を向けさせる。祈っていないで、自分で不足を満たせばよいと。祈りは必要無い。神にしてもらわずとも、さっさと行動すれば、自分で満たせると。問題は、サタンの誘惑を受けていて気づかない事だ。

どうしても欲しい、強い欲望にはくれぐれも要注意だ。その願望を一旦、主に明け渡そう。そうするなら、安全に正しく御心の道へと導かれる。
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強い欲望には祈って対処できるはずと思っていても、日常の些細な目の欲、肉の欲、暮らし向きの自己満足には、わりと無抵抗でいる。目に見えるものに刺激を受け、主が見えない時はすぐに気づけるよう祈っていたい。