2013年10月14日(月)

「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしであ る。わたしがあなたを遣わすのだ」出エジプト3:12 


荒野で羊飼いをしていたモーセが、突然主から召し出される。イス
ラエルの民をエジプトから救い出すための、リーダーとして立てた
というのだ。「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。
わたしの民イスラエルをエジプトから連れ出せ」と。突然の大きな
難題に向かう時、誰でもとてつもなく不安であり、恐れを抱く。

モーセは「私はいったい何者なのでしょう。民をエジプトから連れ
出さなければならないとは」と答える。何で自分が、そんなとんで
も無い事をしなければならないのか。身のほど知らずの事だと。
モーセは80歳であり、又、以前40歳の時に、民を救出しようと
して失敗している。年老いた老人に今さら何を?今の自分には
何の能力も無い。

だが、主は、尻込みするモーセに「わたしはあなたとともにいる。
これがあなたのためのしるしである」と約束され、たたみ込むよう
に説得して行かれる。「わたしがあなたと共にいること」が「しる
し」だと。「しるし」とは、証し、証拠であり、保証だ。これ以上
の保証は無い。これが事実であり、現実であるとは、何と力強い事
だろう。

私たちのクリスチャン人生も同様だ。「わたしがあなたを遣わすの
だ」の通り、あなたがするのではなく、わたしがあなたを遣わして、
わたしがすると。主が、私たちはをそれぞれ家庭、学校、職場、近
隣に遣わされている。たまたまそこにいるのでなく、神から遣わさ
れて、そこにいる。その場での使命がある。

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「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わす」自分が何かを
するのでなく「わたしが遣わす」と言われる。無力のままでよい。
不安の中「わたしはあなたとともにいる」との絶対的な保証がある。
従えるよう祈ろう。