2013年11月14日(木)

「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです」Tペテロ4:2 

 

私たちは、何を幸せだと思うだろうか。自分の願望が遂げられ、思い通りになるなら幸せだと思うのではないか。欲望が満たされることが幸せだ。これは肉の価値観であり、主を知る以前はこの価値観で生きて来た。だから心満たされたいがために、仕事、趣味、名誉、地位、愛する人・・次々と求めて行く。

しかし、満たされる事は決して無く、更に渇く。「この水を飲む者はだれでも、また渇く」欲望が叶っても、心が満たされる事はない。すぐに渇く。井戸ばたのサマリヤの女性は、5回の結婚と5回の離婚を重ね、現在同棲していた。彼女は男性が自分の心を満たしてくれ、自分を幸せにしてくれると信じていた。だから、結婚がうまく行かないと、この人だからうかく行かず、別の人ならと、5回も繰り返した。しかし、決して満たされる事はなかった。

今も多くの人々が欲望を満たす事が幸せの道、人生の目的と思っている。欲望は人によって違う。富、人からの賞賛、注目を浴びること、自己顕示、自己実現・・、しかしそこに満たしは無い。真の幸せと満足は、神の御心を歩むところにある。御言葉に従って行く時、キリストのかたちに変えられて行く。痛い苦しい試練こそがキリストに似た者と形造ってくれる。自己中心な者が、神のご性質にあずかる者とされている。何という感謝と喜びだろう。
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欠乏を満たすものがこの世のものであったら、手に入れるまで喜びも希望もない。手に入れた一瞬の喜びのための徒労とは違う歩みがこの世で出来る。神の御心のために生きてみよう。