2013年12月15日(日)

「持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい・・青年はこのこと ばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持って いたからである」マタイ19:22


永遠のいのちを求め「どんな良いことをしたらよいか」と主のもと
に来た青年に、主は「良い方は、ひとりだけ」と答えられた。主が、
唯一の良い方を「信じる」ことを、言われたにかかわらず、彼は、
「行なおう」との思いに満ちていた。

それで主は、間違いを教えようと律法を持ち出された。律法は、自
分の力で良い事ができないことを教えるためにある。青年に、自分
にはできない事を教えようとされた。「殺してはならない・・あなた
の隣人をあなた自身のように愛せよ」しかし彼は「みな守ってい
る」と答えた。そして「何が欠けているのか」と。

すると、主はその財産を貧しい人に与えよと言われた。もし、彼の
言うように、律法を守っているなら、隣人を愛しているはずであり、
貧しい人々に施したはずだ。しかし、できなかった。自分の力では、
律法を守れない事を、主は認識させたかった。

だからこそ「良い方」がおられることを。その主に頼って欲しいと
願われた。しかし、彼は財産を捨てることができず、主のもとを去
ってしまった。私たちも、財産=自分の力であり、自分でする良い
行ない、自分で律法を守ることを、捨てられないだろうか。

自分を誇りたくて、評価されたくて、認められたくて、プライドゆ
えに、自分の力で神に従おうとするだろうか。その自分を捨てる時、
良い方が、良い行ないを与えて下さる。主のもとを去るのでなく
「自分の力を捨てられません」と主に頼ろう。

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戒めを守る力が無いことを、「出来ません」と認める時に、初めて
主の力を経験する。主は、出来ないことを繰り返し教えて下さる。
行き詰まりが、大きな祝福だ。主を仰いで、拠り頼もう。信じて行
こう。