2014年06月14日(土)

「だから、明日のための心配は無用です。あすのことはあすが心配 します・・」マタイ6:34



「明日の事を心配するな、思い煩うな」と言われる。これは、将来
のために準備したり、考えてはいけないという事ではない。雨の日
のための備えは良い事だ。しかし、心配や思い煩いは、いっさい必
要無いと。

私たちの不安は、「もし〜」から来る。もし、ああなったら、こう
なったら、「もし病気になったら」「もし事故に会ったら」「もし
仕事がだめになったら」「もし経済的に困窮したら」幾つもの「も
し〜」で思い煩い、恐れている。

しかし、主は「空の鳥を見よ、野の花を見よ」と。空の鳥は、何も
しないのに養われ、野の花は装われている。天の父がすべての必要
をご存じで、与えていて下さると。今、目の前に思い煩いがあるだ
ろうか。悲観的な思い込みに飲み込まれてしまう。明日はこうなり、
将来はこのようになりと決めつけてしまう。

又、目の前の問題、悩みを、ネガティブに、どんどん悪い方に考え、
ああでもない、こうでもないと、心が分裂してしまう。思い煩いと
は心が分割、分裂することだ。分裂状態から、一つに心が定まる事
が必要だ。それが「神の国とその義とをまず第一に求めよ」だ。

主の支配を求め、自分を主に委ねて行く時、自分自身を主の御手の
中に置くので、あれこれの思い煩いから解かれ、心が平安にされる。
赤ん坊が母親の腕の中で、安らかに眠っているように。神第一の歩
みをして行く時に、「そうすれば、それに加えて、これらのものは
すべて与えられます」生活の必要はすべて与えられる。

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「思いわずらいはいっさいするな」「何も心配するな」とは、何と
いうことだろう。目の前の具体的なあの事、この事、それらを思い
煩うな、心配するな、と。素直に受け取って、思い煩いと心配を捨
てて、すべての事について感謝することを選択してみよう。そうで
きるよう祈ろう。