2015年01月15日(木) 「いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです」マタイ13:22
「いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです」マタイ13:22
主と出会うまで、私達の心は、この世の見えるものに支配され、見 えるもので心を満たして来た。見えるものしか無かったからだ。見 えるものとは、富や、人から来るものだ。人から評価されたい、認 められたい、賞賛されたい、人に良く思われたい。それがすべてな ので、一心にその事を求めて、生きて来た。 絶えず人にどう思われるかが不安で、心を配る。それがこの世の心 づかいだ。なぜ私たちは、富や人からの評価で心を満たそうとする のだろう。罪により、神との交わりが閉ざされた結果、不安に支配 され、被造物なので、何かに頼らずには生きて行けない。そのため 富にしがみつく。 富が人生を保障してくれると錯覚する。富さえあれば大丈夫だと。 富が夢を叶え、幸せをもたらしてくれると勘違いする。又、神との 愛の交わりが断たれた結果、人からの愛を求めるようになり、人の 好意、人の賞賛を求める。それにより心を満たそうとする。そこに は根深い思いがある。 「みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことば をふさぐため、実を結ばない・・」御言葉が根づかないのは、世の 心づかいと富の惑わしが、御言葉をふさぐからだと言っている。 あなたの心の奥はどうだろう。富によって、人から良く思われるこ とによって安心を得ようとしているだろうか。まずそのいばらが、 価値観が、自分の内にあることに気づく事から始まる。主は取り扱 い、実を結ぶように助けて下さる。 ------------- 御言葉を聞いていても世の営みが気になり、あれもこれもと走り回 ってしまう。そのような者だと主はご存知だ。だから何度も御言葉 をかけてくださる。感謝して御言葉を慕い一つでも行っていきたい。