2015年06月14日(日)

「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」箴言18: 12 



サウル王は、初めは良かった。謙虚に神に仕え、民にも良く思われ
ていた。ところが王の座につくと、心高ぶり、初心から離れて行っ
た。部下のダビデは戦いで、次から次へと手柄を立てた。民の人気
はダビデに向いた。女たちが笑いながら言った「サウルは千を打ち、
ダビデは万を打った」との言葉に、プライドはひどく傷ついた。

サウルは怒りに燃え、妬みは憎しみへと増幅して行った。憎しみは
殺意へと発展して行く。もしサウルが信仰に立ち、神を見上げてい
たなら、どんなにダビデが賞賛を受けても、妬みの誘惑から守られ、
心は平安であったろう。自分に王位が与えられているのは、それは
神による事であり、神の恵みであり、神よりの賜物ではないか。

そして忠実で、優秀な素晴らしい部下が与えられているのであって、
何と感謝な事だろう。信仰により、神視点に立つなら、感謝しかな
い。しかし、サウルは神に従うところから離れ、プライド、体面、
虚栄心のとりことなった。屈折した感情は、妬みの対象であるダビ
デに向いた。その嫉妬は殺意となり、ダビデへの攻撃となり、実際、
ダビデに槍を投げて突き刺そうとした。

ダビデが荒野にいる事がわかると、何と三千人をも引き連れて向か
った。それも敵との戦いでは無く、一人の忠実な部下を倒すために。
神から離れ、肉の感情に、思いに、欲望に振り回される、悲惨な姿
を見せられる。
へりくだり、すべての道に主を認め、主に従う時、道をまっすぐに
して導いて下さる。へりくだって、目の前の状況に主を認めて行こ
う。
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人は、神無しで、自分に無いものを持つ人を見る時に、羨望と妬み
の誘惑にかられてしまう。しかし、神を見て、状況を見る時に、見
方が変わる。比較に気づき、神から自分に与えられているものに気
づかされる。感謝に変えられる。