2015年07月14日(火)

「それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行ったのか」Uサムエル12:9 


ダビデは指揮をヨアブに任せ、兵士たちをアモン人討伐に出してい
た。全軍が命がけで戦っている時に、ダビデは夕暮れ時に床から出
るという生活だった。その油断はサタンにつけ込まれた。ダビデは
バテシバへの誘惑が来た時に、主に叫び、頼るべきであった。しか
しそうせず、誘惑に身を任せ、罪に罪を重ねて行った。

「しかしダビデの行なったことは主のみこころをそこなった」主は
全部を見ておられ、主を悲しませた。王であり、誰も何も言える者
はなく、ダビデは口をつぐんでいた。しかし全く平安は無かった。
主は、ナタンを遣わし悔い改めに導かれた。主はダビデを祝福し、
豊かに与え、「それでも少ないというのなら、わたしはあなたにも
っと多くのものを増し加えたであろう。

それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ」と。罪を犯
した原因が「主のことばをさげすんだ」ことによると。別訳では
「わたしの言葉を侮り」「主の言葉を軽んじ」となっている。主の
言葉を軽んじた事によって、姦淫、殺人、虚偽・・の罪に至ってし
まった。私たちも罪を犯す時、原因は心の底で「主の言葉を軽んじ」
ていることによる。

信仰を捨て、否むのではないから、自分でも気づかないまま、主の
言葉を軽んじてしまい、肉を選択し、欲望に走ってしまう。それは
主の言葉を侮り、さげすむことだ。日々主にとどまり、祈りと御言
葉の交わりにとどまる時、御霊が気づきを与えて下さる。主の言葉
から離れず、主にとどまっていよう。「あなたのみことばによって、
私の歩みを確かにし、どんな罪にも私を支配させないでください」。
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雑草の種も心にあり、それをしっかり育てている。それが主のおっ
しゃっている御言葉を軽んじているとの自覚もないままに。雑草に
心を支配させてはいけない。大切に御言葉を守り従って行こう。