2015年08月15日(土) 「そこでペテロは・・イエスの言われたあのことばを思い出した。そ うして、彼は出て行って、激しく泣いた」マタイ26:75
「そこでペテロは・・イエスの言われたあのことばを思い出した。そ うして、彼は出て行って、激しく泣いた」マタイ26:75
私たちの人生で最も危険な時は、私たちが弱い時ではなくて、自分 に自信がある時だと言われている。主が「あなたがたはみな、今夜、 わたしのゆえにつまずきます」と言われた。だがペテロは、自分は 大丈夫!との自信があり、主の言葉に反論した。「全部の者がつま ずいても、私は決してつまずきません」と、自信満々であった。 主が「今夜、鶏が鳴く前に、三度、わたしを知らないと言う」の言 葉に「ごいっしょに死ななければならないとしても、知らないなど は決して申しません」と言い切った。自分の力に頼っていた。しか し、主が捕らえられた時に、二人の女中に「イエスと一緒にいた」 と言われ、二度とも否定した。三度目に否定した時に、鶏が鳴いた。 まさに主の言葉の通りであった。同時に主はこんな言葉も与えてお られた。「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、 あなたのために祈りました。立ち直ったら、兄弟たちを力づけ」る ようにと。ペテロはいかに自分が罪深く、弱いかを知らなかった。 自分の本当の姿を見せられた。人よりも信仰深い、自分の方が上、 そんなプライドは主の十字架をしゃ断する。ペテロは主を愛してい るが、恐れのために主を否んだ本当は弱い自分、惨めさに気づかさ れた。情けない自分、あの号泣がペテロの本当の姿だった。主はご 存じで、ペテロにそれを教えるがために通された。悔い改め、砕か れたペテロは、主の言葉の通り、立ち直らされ、諸教会のリーダー として仕えて行った。 ・・・・・・・・・・・ 自分で自分の弱さは、なかなかわからない。主の様々な取り扱い、 砕きを通して、初めて自分の弱さを知る。自分の弱さがわかるから 祈りに持って行ける。自らの弱さを認めて祈るその祈りは聞かれる。 自分の弱さがわかることが何より感謝で、祝福で、成長だ。