2015年10月15日(木)

「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ」イザヤ54:1




ある人が、神学校を出て、若い時に赴任した教会で、つまづいてし
まった。若さゆえに、ああしたい、こうしたい、あのように、この
ようにと、思いばかりが先走り、古くからいる人々とぶつかってし
まう。信頼関係を築くのも難しかった。そんな中、去って行く人々
が出て、教会内がぎくしゃくし、焦れば焦るほど、ますますうまく
行かず、悪循環に陥ってしまう。更に人々が去ってしまった。

する事、なす事がみな裏目に出てしまい、ますます対人関係がこじ
れ、どうしてよいかもわからかった。心は打ち沈み、気力が失せて、
ふさぎ込んでしまう日々であった。力が無く、祈ることも聖書を読
むことも出来なかった。気力が湧いて来なかった。そんなある日、
何となく読むともなく、ぼおっ〜と見ていた聖書の御言葉が、心に
響くように入って来た。心にぐっと臨んで来る感覚だった。

「子を産まない不妊の女よ」が、まさに自分に重なった。「喜び歌
え」と言われている。「喜びの歌声をあげて叫べ」と。今の、この
状況、自分の心の内、何もかもをご存じの主が、今共におられる事
が実感として迫った。主からの語りかけだった。不思議だが、あれ
ほど沈んでいた心に灯がともった。

エマオ途上の「暗い顔つき」の二人の弟子が、主の言葉を聞いて心
が燃えて来たように。「恐れるな。わたしはあなたと共にいる」、
どんな時も共におられる主により、再び立ち上がらせられた。
----------
御言葉を通し、思い迷うことや疲ていた心を主は慰め、力づけてく
ださる。御言葉が自分のこととして臨むとき、主の触れてくださる
御手を感じて、状況が変わる前に思いが大きく変えられていく。