2016年05月15日(日)

「神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑な さることもありません」ヤコブ1:13


「試み」という言葉は「試練」と「誘惑」のどちらにも使われてい
る。しかし「試練」は神からであり、「誘惑」はサタンからだ。源
が違う。神は、誰をも決して断固、罪に誘惑される事はない。「人
はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるので
す」。

「試練」は神より与えられるものであり、忍耐すべきものだ。そう
する時、必ず一段階成長して行く。試練は成長のためのものだ。
「試練に会う時は、それをこの上もない喜びと思いなさい」それは
成長を遂げた完全な者にされるためと。反対に、サタンからの「誘
惑」は、決して受け入れてはならない。断固拒否し、立ち向かうべ
きものだ。それを受け入れるなら罪を犯してしまう。

だから、主が「主の祈り」で言われたように、「私たちを試みに会
わせないで、悪からお救いください」と祈る事は大切だ。誘惑から
守られるように祈る必要がある。サタンの誘惑の巧妙さは、物事が
うまく行っている時に来る事だ。試練の時は、むしろ真剣に主を求
め主に拠りすがる。

平穏な時に人は油断する。順調なので神に頼る必要が無い。物事は
うまく進み、祈りを怠る。自分でやって行けると思ってしまう。こ
こに高慢が来る。誘惑の目的は神から離すことだ。試練は、私たち
を練りきよめ鍛え、神に近づけ成長させるためのものだ。誘惑は拒
絶し、試練は受け入れられるように祈ろう。

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人は自分の欲におびき寄せられ、誘惑される来る。その欲にサタン
がつけ込んで来る。しかし、自分で奪い取るのでなく、すべての良
い贈り物は上から来る。光を造られた父から下る。何と平安な感謝
な事だろう。