2016年07月15日(金)

「だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」マタイ6:33



私たちは色々なことを心配する。過去を思い起こしてはくよくよと
思い煩い、目の前のことを心配し、又、先の事を、1週間先のこの
事、1ヶ月先のあの事、果ては老後の事まで思い煩う。経済的心配、
対人関係の思い煩い、仕事の心配、際限がない。そしてそれは必ず
悲観的推測となる。

ああでもない、こうでもないと最悪のシナリオを描き、心は真っ暗
で、底なしの淵に落ち込んで行く。しかし、幾ら心配し、思い煩っ
たからといって、状況は何も変わらない。主が「だれが心配したか
らといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」と
言われたがまさにその通りだと思う。

心配して、状況が良くなるのであれば心配すればよいが、全く変わ
らない。それどころか平安と喜びが奪われ、今の瞬間を、この時間
を台無しにされる。心がさいなまれ、疲れ果てる。何の良い事もな
いのはわかるのだが、思い煩いをやめられない。止めようとするが、
止められないのが現実だろうか。

止めようと、もがけばもがくほど、負のスパイラルにはまってしま
い、ますます悶々状態になる。それで、ここで主は視点を変えて
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」と言っている。こっ
ちの方に目を向け、方向変換して行けと。そこに集中して行く時、
不安や思い煩いから守られて行く。心の平安を経験する。
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明日のための準備は必要でも、心配していると安心、安心するため
にまた心配・・というのはどうだろう。優先すべきものを間違えて
はいけないと今朝も主に教えられる。