2016年08月15日(月)

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します労苦はその日その日に十分あります」マタイ6:34。



主にあって明日のために備え、計画するのは良いことだ。思慮の無
い、無計画な能天気が良いのではない。主は、将来に備える事が無
用なのでなく、心配が無用と言っている。思い煩いは際限が無い。
今日は大丈夫でも、では明日は?来年は?老後は?それに自分がち
ゃんと心配しないで誰がすると、サタンのささやきに乗ってしまう。
心配が正当に思えて来る。

しかし「あなたがたの思い煩いを、いっさいゆだねよ。神があなた
がたのことを心配して下さるから」と言われる。神が心配して下さ
るから、心配無用なのだと。今日も明日も主にゆだねて、主を信頼
して生きよと。委ねられないので、思い煩いが消えない。不安と恐
れで一杯だ。神ではなく、自分を信じ、自分に頼っているからでは
ないか。

嵐の中で、小舟の弟子たちは「私たちがおぼれて死にそうでも、何
とも思われないのですか」と、眠っている主に詰め寄った。しかし
主は起きあがり「黙れ、静まれ」と一言葉で、湖を大なぎにされた。
そして「信仰が無いのは、どうしたことです」と。嵐の問題でなく、
信仰の問題だと言われた。

天においても、地においても、いっさいの権威を持っておられる主
が共におられるのだ。主を信頼するのでなく、自分で何とかしよう
とするので、恐れと不安しかない。「神があなたのことを心配して
下さる」そこに立っていよう。
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心配がくる度に思い煩ってしまう悪循環は意識して断ち切ろう。主
を見ていなければ自分で心配し自分の不安に固執してしまう。委ね
られるよう、備えられている恵みに気付けるよう祈っていたい。