2016年10月15日(土)

「イエスは彼女に言われた。『あなたの兄弟はよみがえります』」 ヨハネ11:23

  

主は、マルタ、マリヤ、ラザロの兄弟を愛しておられた。それが彼
らにもわかっていたので、ラザロが危篤の時に、使いを送り、主に
伝えた。伝えさえすれば、何とかして下さると信じることができた。
「あなたが愛しておられる者が病気です」と。すると主は「この病
気は死で終わるだけのものでなく、神の栄光のためもの」と言われ
た。

そしてはっきりと「イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛してお
られた」とある。しかし主は動かれず、そこにとどまられた。そし
てラザロが死ぬのを待って、ユダヤに行こうと立ち上がられた。主
はラザロの死を通して、神の栄光を現わすという御心を持っておら
れた。つまり、病気を治すことではなく、死からよみがえらせると
いうご計画だった。

しかし「あなたの兄弟はよみがえります」との主の言葉をマルタも
マリヤも人々も信じなかった。墓で石を取りのけるように、主が言
うと、マルタは、いやもう腐っていると。目の前で、今、よみがえ
るなどと不可能だ、信じられない。常識、自分の思い、今までの経
験・・見えるところを信じ、主の言葉の方を退けてしまう。

私たちもどうだろう。時に理解を越えた主の言葉と、目の前の現実、
常識、自分の思いがある時、どちらを選んでいるだろう。主の言葉
を退けていないだろうか。御言葉に立ち、御言葉を選べるよう、助
けを求めて祈ろう。主の言葉に立つ時、神の栄光を拝する。

・・・・・・・・・・・・・
根深い自分の思い、生まれつきの価値観、今までの経験値、この世
界の常識、それらのものと、御言葉が合わない時がある。ペテロが
魚のいない時間帯に網を下ろせと言われたように。しかし御言葉は
常識を超越する。御言葉の方を選び取ろう。それを祈ろう。