2016年11月14日(月) 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」マタイ11:30
「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」マタイ11:30
救われた私たちは、主に喜ばれるように歩みたいと思う。嫌な相手 がいれば、「愛さなくては」「受け入れなくては」と思う。敵対心 を持ったり、憎むと、すぐに平安が失せる。だから余計に愛さなく てはと、頑張る。しかし幾ら頑張っても愛せない。何とか愛そうと するのだが、憎しみと敵対心は消えない。どうやっても無くならな い。平安も無い。 そんな中で、肉の力で頑張っていると気づかせられる。気づくのだ が、また自分の力で頑張ってしまう。肉はどこまでも根深い。何度 も繰り返す。自分の力でやれば、やるほど失敗する。やがて、疲れ 果ててしまう。そんな私たちに、主は「疲れた人は、わたしのとこ ろに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と。 幾ら頑張っても、何をどうやっても出来ませんと、主の前に認める 時に、肩の力が抜けて、心に安堵が来る。自分が頑張るのは、自分 には出来ると思うからで、心の底では何とか出来ると思っている。 出来ない自分を認める時、不思議な平安が来る。主のもとに行く時、 「休ませてあげます」の通り、肩の荷を下ろして軽くなり、心に平 安が広がって行く。 そして「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」と。主 が共に負って下さっているので、苦しくないし辛くない。主と共に、 御言葉を行なって行ける。そこには御霊の喜びがある。しんどい歩 みをして疲れているなら、主のもとへ行こう。まず、ありのままを 告げることから始めよう。 ---------- 主は疲れていないかと招いてくださる。過剰な期待は自分自身から も来て、それは辛く苦しいくびきとなってしまう。幼子のように素 直に主の元に行き告げてみよう。正しい立ち位置に戻してもらおう。