2016年12月15日(木)

「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます」マタイ7:24


ここに賢い人と愚かな人が出て来る。賢い人は御言葉を聞き、愚か
な人は御言葉を聞かない、ならわかりやすいが、どちらも御言葉を
聞いている。賢い人は「ことばを聞いて、それを行なう」。愚かな
人は「ことばを聞いて、それを行なわない」。このところの違いだ。
愚かな人も礼拝で御言葉を喜んで聞き、御言葉を学ぶ人だ。

御言葉を聞かなかったり、反発しているなら、自分でもわかるが、
喜んで聞いているので、気づかない。御言葉を聞いて、それで満足
してしまう。聞いて、わかった気になって、そこで終わる。聞くだ
けで行なわないなら、自分の生まれつきの顔を鏡で見るようだと。
自分をながめてから立ち去ると、すぐに見たものを忘れてしまう。

御言葉を聞いてすぐに忘れてしまい、何も無かったことになる。そ
れなら実になることが決してない。真理の言葉は行なう時に初めて、
実を結ぶ。良い御言葉を聞いて、満足して終わりだろうか。しかし、
それならすぐに忘れてしまうと言っている。そして、何も無い時は
よいが、試練が来た時に立ち行けず、倒れてしまう。「しかもそれ
はひどい倒れ方」だと。

御言葉を実行して行く時に、実となり、どんな試練が来ても倒れな
い。聞いた御言葉を一心に見つめて離れない人は、事を実行して行
く。今、必要な事は聞いた御言葉を実行することだろうか。実行で
きるよう助けを求めて祈ろう。
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御言葉を聞いても、とても実行できないことばかりだ。無理、無理
と御言葉を流すより出来ませんと祈ろう。流して立ち去れば、いつ
しか出来るような気になり何の問題もないと思えてしまう。