2017年03月15日(水)

「・・神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」エペソ4:32 



誰しも経験するところだが、人を赦すことは非常に難しい。なか
なかできない。ある人が善意で、精一杯の時間と労苦を注いで、
懸命にした事を、別の人から批判された。それも、自分に直接言
わずに、悪口のように陰で言われた事に、ひどく傷つき、怒りが
湧いた。その怒りは、もう殴りかかりたいほどだった。

心は乱れ、悶々状態だ。もう激怒で、デボーションの時に、祈れ
なくなってしまった。どうしても赦せない。腹が立つ。憎しみが
生じる。祈りの言葉も発せられないまま、しかし、御前にいた。
時間の経過と共に、このままで良いことはないと思う、もう一人
の自分もいて、言葉を発し始めた。

「赦さないといけないですよね」「御心は赦すことですよね」し
かし「絶対に赦したくない。これが本音です。これが私です」「で
も、心に全く平安がなく、苦しいです」気持ちをそのまま祈り始め、
心の内をあるがまま吐露していると、主の十字架が迫った。「のの
しられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず」

「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われ」「悪をも
って悪に報いず・・かえって祝福を与えなさい」。何だか心がじん
わり温かくなった。何もかもご存じで、包み込まれている感じがし
た。初めての経験だった。不思議に心が穏やかさで満ちて「赦そう」
と思えた。「赦します」と祈った時に平安でいっぱいになった。
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赦せない心と一人で戦わず、主の御心へ明け渡せるよう祈ろう。赦
されている自分を発見するかもしれない。怒りを手放せるよう主が
時々に指針をくださる。祈りの交わりこそが平安と救いだ。