2017年04月14日(金)

「自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります」ヤコブ1:25


御言葉を聞いても行なわないなら、自分の顔を鏡でながめて、立ち
去る人のようだと。すぐに忘れてしまうと。ただ単にながめただけ
で、何もせずに立ち去る。例えば、自分の顔が汚れていても、ただ
見るだけで、汚れを落とそうとしない。そんな態度なので、立ち去
った後は、顔が汚れていたという事も、すぐ忘れる。そうなら、そ
の人は何も変わらず、ずっと生涯そのままという事になる。

つまり、御言葉を聞いても、実行しないなら、これと同じだと。何
も変わることがなく、成長が無い。そうでなく、鏡を見るのは、身
づくろいのためならどうだろう。顔が汚れていたなら、洗顔して汚
れを取り、髪も乱れていたなら、くしを入れ、服も点検する。その
ように対応する時、きれいに身づくろい出来て行く。

示された御言葉を一心に見つめ続けるなら、実行して行けると。
ある人が、自分は御言葉を聞くには聞くが、実行しないので、すぐ
に忘れてしまっている。そこが問題なのだと気づかされたと。それ
は自分を欺いている事だと。私たちはどうだろう。御言葉は鏡だ。
自分の真の姿を照らし出してくれる。

聞き従うとは、照らし出された自分の姿を知り、認め、悔い改め、
示された事を行なってゆくことだ。「和解せよ」「愛せよ」「祈れ」
一つ一つ従って行こうとする時に、御霊は力を与えて下さる。御霊
の助けにより、御言葉を一心に見つめること、反すうすることで、
実行して行ける。
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信仰人生、いつも御心に整えられて変わり続けたい。何年も御言葉
を聞き、知識として知っていることと、一つの御言葉を信じて一歩
従い体現するのとは違う。真の自分の姿はどうだろう。