2017年07月15日(土)

「エリは言った。『その方は主だ。主がみこころにかなうことをな さいますように』」Tサムエル3:18


主の御声がサムエルに臨んだ。が、サムエルにはそれが主からの御
声であることがわからなかった。それで、サムエルは、エリに呼ば
れたと思い、何度もやって来た。エリは、そんなサムエルに、主が
語っておられると悟った。そこで、もしまた呼ばれたら、「主よ、
お話しください。しもべは聞いております」と言うように教えた。

そして再度主は「サムエル。サムエル」と呼ばれた。エリに言われ
た通りに応答すると、主は、エリの家に裁きが下されるという厳粛
な御心を明らかにされた。サムエルが、呼びかける声が主だとわか
った時に、御心が示された。それをエリに言うのを恐れたが、エリ
に促され、そのままを伝えた。

主に聞いて行く時、語られる内容は、時に厳しい。嬉しい事ではな
いかも知れず、都合良い事ばかりではない。しかし避けずに受け止
めて行く時、主の御名が崇められ、主の御心が成し遂げられて行く。

主に聞くのではなく、自分で考え、自分で決めてしまってないだろ
うか。それなら主の御心でなく、自分の思いの道を歩んでしまう。
又、「主よお話下さい。しもべ聞きます」でなく、「主よお聞き下
さい。しもべ語ります」一辺倒になっていないか。まず聞こうとす
る態度が大切だ。

デボーションから、礼拝から、学びから、書物から、交わりから、
あらゆる所を通して、主はサムエルを呼ばれたように、私たちの名
を呼び、御心を示そうと語りかけて下さる。

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サムエルは、エリの家の裁きという、厳しい主の言葉を、主に従い
エリに告げた。「主よお話下さい。しもべ聞きます」は、聞いた御
言葉にお従いしますとの態度だ。どうであれ従おうとの姿勢がある
からこそ、語られている御言葉が悟れて、受け取ることができる。