2018年03月15日(木)

「人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない・・」エペソ6:6




会社でも、バイト先でも、職場で時々目にしてしまう。上司や雇用
者がいる時には、真面目に仕事をするが、そこにいない時はサボり、
適当な手抜き仕事をする。又、子供たちに、オモチャを片づけるよ
うにと言うと、兄弟で、これは自分が出した物じゃないと言う。自
分が出してないのに、何で片づけなければならないのかと。

肉の性質は少しでも楽をしたいし、自分が損をするのは嫌だ。どこ
までも自分の損得が判断基準だ。得も無いのに労力も時間も使いた
くない。しかし新しい性質は新しい原理で動く。自分の損得でなく、
神の御心を行なおうとする。それは、人のごきげんとりのような、
うわべの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従う事
だとある。

人が見ている時だけ、懸命に動き、人が見ているから、へつらうな
ら、それはうわべの仕え方だと。真心から、つまり正直に仕えて行
くようにと。そして根本的に、人に対してではなく、主に対してす
るようにと。もし、強いられた事であったとしても、人に対してで
はなく、主に対してするようにという事だ。

人の目のためにでなく、目の前の事を主に対してする事が、主に従
う事になると。自分を中心に生き、損得でしか考えられず、動けな
かった者が、主の御心を、主が喜ばれる事を中心に考え、生きる事
が出来る。これこそが大きな奇跡であり、御霊の支配の中に生きて
いる事だ。
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仕事は手際よく片づけたいと無意識で動くから、いつも事だけが片
付けば満足してしまう。次はもっと効率よくやろうと、そこに主へ
の思いが抜けていた。主に対してと心を添えて身体を動かしたい。