2018年04月14日(土)

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主は あなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6



あなたも、人生において進路が閉ざされる経験があるだろうか。自
分の切に願っている進路が目の前で閉ざされる。入学試験、就職試
験の不合格やら、様々な事で経験する。さあ、今から仕事に就く、
入学するという時に、病に倒れたりする。「なぜ?」「どうして?
こんな事に?」非常に悲しく辛い経験だ。

パウロもアジア州で、さあ、宣教しようとしたところ、御霊に止め
られた。ビテニヤの方へ行こうとしたが、それも阻止された。御霊
の導きは、時に私たちには理解できない。しかし、それが理解でき
なくても、又、どのようであっても、そこに「神を認め」、神の御
心を信じて行くこと、それが信仰によって生きるということだ。

結果的に、パウロはマケドニヤに渡るよう導かれた。そこには、
ヨーロッパ宣教という遙かに大きな御心が備えられていた。進路を
止められる事は、導きを失う事ではない。道に迷ってしまったよう
に感じ戸惑うが、御心が別にあるとの導きだ。

ある人は大きなプロジェクトに関わり、すべての準備が順調に進み、
さあこれから開始という時に、過労に倒れ入院となった。思わず
「なぜ、どうして!」と落胆しそうになったが、信仰に立ち、この
事に主を認めて、感謝を献げた。

するとそれは益とされ、祝福の時とされた。身体をしっかり休める
事ができて、何とベッドの上で祈りに集中し、専心する時とされた。
その祈りは用いられ、素晴らしく答えられ、プロジェクトは大成功
に終わった。

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「どこにおいても」とあり、思い通りにならない状況が数々起きる
が、そこに主を認める時に、見方が変えられる。主の変わらない愛、
万事益、災いはなく主の立てられた計画・・神視点に立てられて行く。
「道をまっすぐに」状況は変わらずとも、心がまっすぐに=平安に
される。