2018年10月14日(日) 「ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえ で、歩いたことがなかった」使徒14:7
「ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえ で、歩いたことがなかった」使徒14:7
ルステラでのこと、生まれながらの足なえの男性がいて、一度も歩 いた事がなかった。その人が丁度そこに座っていて、パウロが語る 御言葉にじっと耳を傾け、聞き入っていた。彼は自分の足に関して、 何の手だてもなく、何もどうする事もできなかった。生まれながら の障がいで、どうやっても歩く事は不可能だった。 自らに全く望みを置けない、完全に無力の状態だった。自分で何の 方法も無い。だからこそ、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」 とのパウロの言葉にすがった。すがる事が出来た。もし自分でどう にか出来るなら、自分で出来る事があるなら、何かにすがりなどし ない。自分でさっさと行動しただろう。彼はこの言葉にすがりつい た。全望みを置いて信じて賭けた。この言葉がすべてだった。 自分が完全に無力だからこそ、そうできた。その言葉に頼んだ。信 仰が働き、そこに神の力が臨み、奇跡が起きた。一度も歩いた事の ない彼が、飛び上がって歩き出した。神の力だった。私達も自らの 無力を知る時が、信じる事の出来る時だ。何の方策も無く、何もど うにも出来ない。もう信じるしか道がない。その時に信仰が働く。 自分の力、方法に頼っている限り、自分を信頼している限り、神へ の信仰は頭だけになる。御言葉があっても、自分の力、自分の方法 でやって行く。そこに信仰の入る余地はない。信仰とは、御言葉だ けを頼りに、自分を委ねて行く事だ。そこに必ず神が働かれる。自 らの無力を徹底的に知る事こそが、大きな祝福への道だ。 ・・・・・・・・・・・・ 何のすべもなく、どうにも出来ない無力な時こそ、大きな恵みの時 だ。弱くない事が問題なのだが、主は日常の様々な出来事を通して、 取り扱って下さっている。壁にぶち当たる時は感謝だ。「わたしの 力は弱さに内に完全に現れる」を経験できる時だ。