2020年02月13日(木)

「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」箴言27:5



ある人が、御霊の強い示しを受けていた。それは友人に忠告せよと
の事だった。だがそれはナーバスな、微妙な内容で、相手の絶対に
触れられたくない部分であり、相手は必ず怒り、争いになると予想
できた。重苦しい中、自分の思いも告げて、祈りを積むが御霊の示
しは変わらない。明確な導きだ。自分も従わなければ平安が無く心
が重い。ついに決心し、祈りに祈り、示されるまま忠告した。

思った通り相手は痛所を突かれ、激怒で、喧嘩別れになった。しか
しその相手は帰宅し、少し落ち着くと、友の言葉を深夜中考えさせ
られた。そしてその通りだと思った。自分の最も痛い部分を突かれ、
思わず感情的になったが、言えば嫌われる事がわかっていて、あえ
て忠告してくれた友の愛情と真実を思った。電話し謝り、言ってく
れた事に心から感謝した。

ある人は仕事で、良い案が浮かび、練り、仕上げ、まず親しい友に
話してみた。すると、こてんぱんに批評され、極めて厳しい評価を
受けた。懸命に考え、時間をかけ完成させた内容であり、怒りが湧
いた。しかしその理由を丁寧に説明してくれ、自分が全く気づかな
かった側面を指摘され、自分の足らない部分が明らかにされた。

友のその分野における豊富な経験と知識により、助けられたのだ。
愛情からの厳しい指摘は、間違いから守られ、又、自分が高められ、
真に有益だ。逆に自分が忠告する立場に置かれたら、従えるよう御
霊の助けを祈ろう。主は用いられる。
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忠告は言うのも聞くのも痛いが、主が心に働きかけているなら、愛
を持って主に従おう。忠告されたなら自分の足りないところを直す
チャンスと感謝したい。