2020年03月15日(日)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神 よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17 

私たちの人生で最も危険な時は、私たちがどうしようもなく無力で、
弱っている時ではなくて、自分に自信があり、自信満々の時だと言
われている。そんな時は要注意だ。モーセも40歳で、地位も富も権
力も能力も何もかも持ち、我こそはと同胞の救出に立ち上がったが
失敗した。

ペテロも自信満々だった。主が、皆、つまずくと言われた時に、全
部の者がつまずいても、自分だけは大丈夫と豪語した。決してつま
ずかないと。ペテロは知らなかったが、自分の力に頼っていた。そ
して本当の自分を、自分の弱さを知らなかった。主の言われた通り
に、ペテロは三度、主を呪いをかけて誓ってまで否定した。主を裏
切ってしまった。

しかし主は、ペテロが失敗しないようにではなく、信仰が無くなら
ないようにと祈っておられた。モーセは老人になった80歳の時に、
栄華も地位も力も何もかも失せた時に、民を救出するために指導者
として立てられ、用いられた。自分では今更何ができようと思った
ろう。主が用いられるのは屈強な軍馬でなく、ろばの子だ。

号泣したペテロは、自分の本当の姿を知った。情けない弱い自分、
惨めな自分の姿、弟子の資格もなく、ふさわしくないと思ったろう。
しかし主は、その砕かれたペテロを回復させ、建て上げ、諸教会の
リーダーとして用いられた。

「立ち直ったら、兄弟たちを力づけるように」と。自分に何も無い、
無力を知る時こそ、実は恵みの時だ。豊かな祝福へと導かれる。

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有能で、力に満ち、信仰強く勇敢な器が主に用いられるように思っ
てしまう。しかし御言葉によると、主が用いられるのは、砕かれた
器、主に拠りすがらなければ、何もできない弱い器だ。空の器を聖
霊で満たして、用いて下さる。無力こそが大きな恵みだ。