2020年05月15日(金)

「兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって・・」Tヨハネ2:10


光の中にとどまる人は、決してつまずく事がないと言っている。
光があるから見えるので、つまずかないで歩んで行く事ができる。
つまり、光により、罪がわかり、悔い改めることができるからだ。
罪を犯さない人はいない。罪を犯してしまうのだが、その罪を示さ
れ、教えられて、悔い改めて〃、赦されて、赦されて、歩んで行け
る。赦しがあるから、常に主の光の中を歩める。

人がつまずくのは、光の中にとどまらず、闇の中にいるからだと言
っている。闇の中では、真っ暗で何も見えないので、歩くとつまず
いてしまう。「光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、
今もなお、やみの中にいる」やみの中にいるしるしは、兄弟への憎
しみだと。御言葉を真実とし、憎しみがあるなら、自分がやみの中
にいると認める時に、すでに光の中だ。

御言葉に従っているからだ。又、兄弟を愛して行くなら、やみの中
にはおらず、光の中で歩んで行けると。愛せない事を認め、愛せる
よう主に拠り頼むなら、光の中だ。心が重苦しいのは、相手のせい
だと思う。嫌な相手のために憂鬱で、落ち込んでいると。この状況
さえ変われば、平安になるのにと。

しかしそれは原因ではなく、平安が無いのは、自分と主との関係の
問題だ。憎しみは、主との関係をシャットダウンしてしまう。まず
主のもとへ行き、祈ろう。自分ではどうにも出来ない。しかし主は
弱さをわかり、助けて下さる。人に出来ないことが主にはできる。
平安へと導いて下さる。
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相手はどうであれ、自分に憎しみという罪があると気づけたら闇か
ら光の中だ。主は闇から救い出してくださる。御言葉のひかりに照
らされて、つまずかず御心の中を歩もう。