2020年11月14日(土)

「しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められ た」詩篇66:19



ある人が、非常に世話好きな隣人に戸惑っていた。親切は有難いの
だが、頼みもしないのにどんどん世話を焼かれる。気持ちがしんど
くなって行くところに、更にプライベイトな事にまで踏み込んで来
られ、苦痛でたまらなかった。だが、そう思う自分も、寛容でなく、
心が狭いのではと、何だかとがめてしまう。

かなりのストレスとなり、とにかくその事を祈りに持って行き、そ
してずっと祈り続けていた。ある時、余りにも行き過ぎた行為に、
とうとう我慢の限界となり、切れて爆発する瞬間、「神様!」と叫
んだ。どうにもならない瀬戸際で、助けを求めた。その時、口から
ひとりでに言葉が出た。

「すみません。いつもよくして頂いて」。自分で自分に驚いた。取
り返しのつかない決定的な言葉を発してしまうところ、主の介入で
助けられた。言葉は、後戻りが出来ない。御霊の助けであり、守ら
れた事に安堵した。すると相手は心和んだようで、良い関係にされ、
和気あいあいとなった。自分自身も心が変わり、平安に対応でき、
素直に教えて欲しい事も聞けた。

すると相手からの相談を受け、主のみわざに驚いた。祈りの力を教
えられ、見せられた。ただただ辛くて、祈り続けていた祈りの答え
だった。どんな状況の中でも、祈りに持って行けばよい事を教えら
れた。

「わたしを呼べ」と言われる主のもとへ行き、主に祈ろう。「そう
すれば、わたしは、あなたに答え」、今、目の前の事態に主を呼び、
主に告げよう。主は答えて下さる。

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日々に「わたしを呼べ」と言って下さっている。何と感謝な事だろ
う。いかなる時も、自分で何とかしようとせずに、まず主を呼ぼう。
その時に、主が共におられること、愛されていることを実感して行
く。小さな事にも、祈りの答えを見て行き、喜びが溢れる。