2020年12月11日(金)

「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった」ヨハネ6:66




私たちは、どんな動機で主を信じ、従っているだろう。主はご自身
を求め、従って来る者を決して拒まれない。しかし助けて欲しい、
祈りを聞いて欲しいとの強い思いがあり、それがどんなに熱心であ
ったとしても、自分の欲求を満たすためだけならどうだろう。主を
知りたいというのでなく、ただただ自分の願望を叶えて欲しいだけ
だろうか。

それなら遅かれ早かれ、思い通りにならない時に、失望して主を離
れる。実は従っているのではなく、自分のために、主を利用してい
ただけだ。利用価値が無いなら離れ去ってしまう。しかし真に主を
知りたい、従いたいと願う人は、そこで、離れるのではなく、自ら
の欲求を満たしたいがために、従っていた事に気づかされた事に感
謝する。

悔い改めて、信仰のあり方を軌道修正される、大きな恵みの機会だ。
間違った方向に進む者を、御霊は示し、気づきを与え、方向転換さ
せて下さる。彼らは、主の「肉を食べ、血を飲む・・」との言葉を、
「ひどい言葉」だと言った。絶対に受け入れられない拒否反応だ。
不信となる。自分が、主より上で、自分の知識を超えると、捨てて
しまう。

理解できないのなら、へりくだって、主に教えてもらおうとは決し
てしない。そんな時、ペテロは「私たちがだれのところに行きまし
ょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます」との
信仰告白をした。信じ、従って行く時に初めて、「この教えが神か
ら出たものかどうか」がわかる。
------------
個人的に示してくださる御霊の導きを通して、経験を通して初めて
、主こそ自分のいのちのパンだと告白する事ができる。自分の知恵
や経験を洗い流し、素直に主ご自信を信じられるよう祈っていこう。