2021年01月15日(金) 「それは、あたなを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」申命記8:2
「それは、あたなを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」申命記8:2
試練は苦しく、辛い。そのため試練に会うと「なぜ?〃?」と不満、 愚痴、怒りが湧くが、主は、はっきりと「あなたを苦しめ、試み」 と言っている。そして「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。 これもあれも神のなさること」と、順境も逆境も主からのものだと。 順境の時には喜び、感謝すればよいが、試練を通してしか得られな いものがある。 「苦しみに会う前には、あやまちを犯しました。しかし今は、あな たの言葉を守ります」の通りに、人は強情で頑固で、自分を正当化 する者だ。自らの非を認めたくないので、環境や人のせいにする。 しかし苦しみにより砕かれて、自力に頼れないので、主のもとに追 いやられる。主に頼るしか、なすすべが無いところにまで追い込ま れる。主に拠りすがって行く。へりくだるようにさせられる。 その時、初めて真に主を知る。拠り頼む事の意味を知る、幸いな経 験だ。涙の谷を過ぎる時も、その中で主に従って行くなら、必ずそ こが泉の湧く所となる祝福とされる。人は皆、試練に会う。思い通 りに行かないから試練だが、その時に二つの選択がある。心を屈折 させ、不信仰に陥る事もできるじ、主からの訓練としてしっかり受 け止める事ができる。 自らの選択だ。そして結果を刈り取る。訓練として受け止めるなら、 測り知れない益を得る。平安の実を結ぶ。後に「苦しみにあったこ とは、私にとって幸せでした」と必ず言える。苦しみは私達を、更 に主に近づけてくれる。ついには、あなたを幸せにするためだ。 ------------- 試練の度に強靭になれと言われるのではなく、主に頼る事を覚えな さいと言われるのは何と慰めだろう。主は心を用いてくださってい る。主に訴え、主に祈りながら試練を抜けていこう。