2021年06月14日(月) 「しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、そのさとしを待ち望まなかった。彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた」詩篇106:13
「しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、そのさとしを待ち望まなかった。彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた」詩篇106:13
主は、私たちに「わたしに求めよ」と言って下さる。「求めなさい。 そうすれば与えられます」と。主は求めることを喜ばれ、私達は、 求める事ができる。しかし求める事において、注意する必要がある。 イスラエルの人々は、主の御心、主の栄光など全く無く、激しい欲 望にかられて、わがままに主に求めた。すると、主はその願うもの を与えられたのだ。 あなたが、どうしても、どうあっても欲しいと執着し、身勝手に言 い張るなら、時として主は、願ったものを与えられる。しかし、魂 はやせ衰えると。激しい欲望にかられて求めて、手には入れたが、 心は決して満たされる事がない。返って心は虚しくなる。それほど 欲しいものを得たのに、心は平安も喜びも無く、空虚なのだ。 時に主は、私たちに学びを得させ、教訓を与えるために、私達によ くないものであっても、どうしても言い張るなら、与えられる事が ある。だが、自己中心にでなく、主の御心にかなったものを求める 方が、どんなに良いだろう。それが一番だ。自分の欲望でなく、主 の心に適ったものが、私達にとっても最善だからだ。主が私たちの ために選んで下さったものだからだ。 手に入れても心満たされず、更に、心がやせ衰えるのは、辛いこと だ。私達の求めを、主のお心に照らし、主の喜ばれるものか、主の 栄光が現れるものか、よく吟味してみよう。わがままな欲望ではな いか、自分の栄光のためのものではないか。 ・・・・・・・・・・・ 手に入れたら満足で、すぐに次のものに心は動く。今、欲しいもの は主の喜ばれるものだろうか。主の栄光が現される事を喜ぶ心を、 まず祈りたい。