2021年11月14日(日) 「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、 もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方 のために生きるためなのです」Uコリント5:15
「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、 もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方 のために生きるためなのです」Uコリント5:15
その昔、太陽が、地球の回りを回っていると思われていた。太陽が 東から出て、西に沈むので、そのように見える。その時には、その 動きは複雑怪奇で説明が成り立たず、わけがわからなかった。とこ ろが太陽ではなく、地球の方が、太陽の周りを回っているとわかっ た時に、突然すべてがすっきりと解明した。 宇宙は今も昔も何も変わらないが、視点が変わる事によって、全く 見え方が変わる。これをコペルニクス的転回と言われているが、私 たちクリスチャンも、霊的視点の転換が起こる時に、主がわかって 行く。この視点の転換によって、問題がすっきりとして行く。 信仰者であっても、生まれつきの肉の性質は根深く、自分の欲望が 実現する事が、喜びであり、幸せだと思う。だから自分の願望が叶 うようにと、懸命に取り組むが、実際はほとんど自分の思い通りに はならない。何度も挫折を味わう。又、仮に思い通りになったとし ても、その瞬間の歓びがあるが、その奥には、こんなはずではない 虚しさを感じる。 そんな事を繰り返す中で、信仰者でありながら、根深く「自己中心、 自分第一」に生きている姿に、気づかせられる。自分の価値観と自 力の力で生きている。気づきから始まる。「神中心、神第一」に転 回して行く時に、何もかもが正しい位置に置かれ、心に真の平安が 満ちる。秩序をもって人生が回って行く。自分が変えられて行く。 自分は今、どうだろう。 ・・・・・・・・・・・・・ 信仰に進めば進むほど、いかに自我が強く、自己中心であるかを知 らされる。そしてそのための十字架である事を更に知らされ、感謝 に溢れる。自分の無力を知り、主を見上げる時に、御霊が神第一に するように助け、働かれる。無力を知れる事が感謝だ。