2021年12月15日(水)

「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をお おうからです」Tペテロ4:8



箱舟から出たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ノ
アはぶどう畑を作り始めた。そしてぶどう酒を飲んで酔い、天幕の
中で裸になっていた。ノアにも弱さがあった。息子のハムがそれを
見て、外にいるセムとヤペテに告げた。ハムは父のぶざまな姿を見
て、二人の兄たちに吹聴するが、しかし二人の兄たちは、着物を持
って来て、自分達二人の肩にかけ、後ろ向きに歩いて行って、父の
裸をその着物でおおい、父の裸を見なかった。

愛は、人の失敗や弱さをあげつらい、辱めるのでなく、それをおお
う。どんな人にも失敗や恥がある。ノアは自らの裸をおおってくれ
た二人の息子を祝福した。「愛は、多くの罪をおおうからです」と
ある。律法学者とパリサイ人が、姦淫の現場で捕らえられた女性
を、
主のもとに連れて来た。そして主に、モーセは姦淫の女を石打ちに
するよう命じているが、あなたはどうするのかと詰め寄った。

群衆は好奇心で見物するかのように、そこにいる。主はじっと座っ
て地面に何か書いておられたのだが、「罪の無い者が石を投げよ」
と言われた。すると一人去り二人去り、誰もいなくなった。その女
性に、主は「婦人よ」と語りかけ、「わたしもあなたを罪に定めな
い。今から決して罪を犯してはならない」と。

主は愛により、その女性の罪をおおわれた。「幸いなことよ。その
そむきを赦され、罪をおおわれた人は」。私たちも、十字架で罪を
赦され、おおわれた者だ。主は、恥と失敗をおおって下さる。主に
愛されている。何と嬉しい事だろう。
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人の失敗がよく目につくのに、裁くばかりで愛でおおう事が何とで
きない者だろう。主の十字架によって罪を赦され、これからも赦し
続けられる。主のご愛を少しでも身につけ倣いたい。