2022年01月14日(金)

「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊にとり つかれているのです」マタイ15:22



娘が悪霊につかれている、異邦人の母親がいた。必死の思いで、主
に叫んだ。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい」。この
切なる叫びに、主は答えて下さると思う。だが主は「一言もお答え
にならなかった」。主は沈黙され、無視された状態だ。彼女は決し
て諦めず、尚も叫びついて来た。弟子たちは見かねて、帰して欲し
いと主に願った。

すると「わたしは、イスラエルの羊以外のところには遣わされてい
ない」と。彼女はそれを聞いて「ダビデの子」を抜いて、更にひれ
伏し求めた。カナン人はイスラエルではない。「ダビデの子よ」と
言う権利は無い。彼女は一歩も引き下がらず、むしろ尚もへりくだ
って正しい位置に立った。

すると主は「子どものパンを子犬に投げてやれない」と言われた。
何と冷淡なと思いそうだが、実は、主は彼女を正しい道筋に導いて
おられた。そこで彼女は更にへりくだった。「主よ。その通りで
す」
と小犬である事を認め「小犬でも食卓から落ちるパンくずはいただ
きます」と求めた。主はあわれんで下さる、いやして下さると信じ
たからこそ、決して諦めなかった。小犬がもらえる恵みを求めた。

その時、娘は直った。彼女は願いが聞かれた。主は彼女の「立派な
信仰」に驚かれた。主を信じたからこそ、退かずにへりくだって求
めた。信じていなければ、まず求めない。そして信仰は決して諦め
ない。諦めないので、必ず答えを手にすることになる。
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小犬が主人を仰ぐようにへりくだり粘り強く主に信仰をお献げした
い。長い試練の道のりも、主のご計画と必ず良くしてくださる事を
信じて御心の扉を叩き続けたい。