2022年03月15日(火)

「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、 私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32


二人の弟子が、エルサレムをあとにし、郷里エマオに向かった。主
は十字架にかかられてしまい、エルサレムにいても、する事が無
い。
そのため郷里へ帰る途上であった。彼らは「暗い顔つき」だった。
主がローマ帝国を倒し、王国を建て、王となって支配されると信じ
ていた。自分たちの強い思いの中にいた。

その主が無惨に死んでしまった。自分たちの期待、希望、喜びのす
べてが砕け散った。絶望、失望落胆、無力、虚無の中にいた。主は
幾度も、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたが、自
分の思いと異なる事であり、人は聞きたい事だけを聞くので、その
言葉は全く入らず、信じていなかった。

主のよみがえりを信じていたなら、エルサレムにとどまっているは
ずだった。弟子たちは主の言葉でなく、自分の思いの中にいた。そ
んな彼らに、主の方から近づかれ、彼らの心中の思いを吐露させら
れた。この方に望みをかけていた、しかしだめだったと、過去形で
あった。主は、彼らの暗さの原因を「信じない、心の鈍い」と不信
仰によると言われた。

その彼らに主は何をされたのか。御言葉を解き明かされたのだっ
た。
すると段々、彼らの心が内に燃え上がって行った。沈んでいた心が
よみがえり、赤々と燃えて来た。御言葉に真剣に耳を傾けた時に、
彼らは変わった。信仰がダウンする時に、「イエスご自身が近づい
て」主の方から近づいて、語りかけて下さっている。今までずっと
私たちにも、して下さった事だ。どんなに助けられた事だろう。
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霊的にダウンすると、まるで日暮れの道をとぼとぼと歩いているよ
うに心もとない。こんなエマオの途上を何度も経験するが、御言葉
の真理に触れると心が燃えてくる。主が触れてくださるからだ。