2003年01月15日(水)

「おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう」(ガラテヤ6:4)

もし、兄弟が過ちに陥ったなら、柔和な心でその
人を正してあげるべきだ。しかし、私達は何と冷
やかで、きつい語調でその事をすることか。
優しさと受容性に欠け、荒々しい態度を取ってし
まう。真に自分自身が悔いくずおれ、主の前に
ひれ伏した事がないためである。自らの罪が
神の光に照らし出され、罪の恐ろしさにおののき、
ちりに伏した事がないからだ。人の欠点はよく見
え、人を断罪し、さばく者であるが、自分の内が
全く見えていない。何と高慢で扱いにくく、頑固な
者か。事が起これば、自己弁護に終始し、自己
主張に際限が無い。いつも失敗している。それ
ゆえ、人への対応が出来ない。間に合う、有用
な者とされるために、良心が御言葉の真理に
絶えず目覚めており、機能しているように。