2022年08月15日(月) 「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神 よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17
「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神 よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17
ダビデはバテシバと姦淫し、それを隠ぺいするために、その夫ウリ ヤを殺害した。王であり、誰も何も言えない。口をつぐんでいたと ころ、主は、預言者ナタンを遣わされた。ナタンはどうだったろ う。 すでにウリヤは殺害された。ナタンも、即、殺されても不思議はな い。 しかし、主に従順に従い、ダビデのもとへ行き、言った「二人がい て、一人は富み、一人は貧しかった。富む人は、多くの羊や牛を所 有していたが、貧しい人は一頭の小さい雌の子羊だけだった。彼は それを自分の娘のように大事に育てた。旅人が、富む人の所に来た が、自分の羊を調理する事を惜しみ、その貧しい人の子羊を奪って 調理した」。 するとそれを聞いたダビデは激怒し「そんな事をした男は死刑だ」 と言った。ダビデの密かな罪が反応したのだ。つかさずナタンは 「あなたがその男だ」と。その時ダビデは、「わたしは主に対して 罪を犯した」と罪の告白をした。 ナタンは、まずダビデの罪の指摘でなく、人の罪の話をした。他人 の罪には非常に敏感だ。ダビデも自分の罪は気づいていた。だが自 分は王で、すべては意のまま、隠し通せると思ったろう。他人の罪 としてナタンから語られた時に、その罪がはっきり示され、重大さ に気づいた。 王が悔い改めるのは、人々の手前も簡単ではなかったろう。しかし 主の御前にへりくだり、悔い改めた。刈り取りに苦しみつつも、練 られ、聖められ、信仰の人ダビデが造り上げられて行った。罪は赦 され、建て直され、建て上げられる。何という測り知れない恵みだ ろう。 ------------ 罪が赦されるとはどれほどの喜びと平安だろう。神が赦してくださ る。罪は常に私の前に置かれているとダビデは言っている。誰もが 失敗するが主の前に悔いた心をささげよう。新しい歩みができる。