2022年11月14日(月)

「「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうした ことです」マルコ4:40



ある50代半ばの会社員が勤めていた小さな会社が倒産した。夫婦で
どっと不安に襲われた。家の多額のローンは?この年齢で再就職が
あるのか。路頭に迷うかも知れないとの思い煩いに、眠れない日々
が続き、食事も喉を通らなかった。主のもとへ行き、切なる助けを
求めたところ、御言葉を下さった。

「私たちのために、重荷をになわれる主」「重荷を主にゆだねよ」
「主は、あなたのことを心配して下さる」「重荷を負っている人
は、わたしのところに来よ。わたしがあなたがたを休ませる」「思
い煩いを、いっさい神にゆだねよ」。目の前のこの心配を、主が担
う、荷を主に委ねよ、休ませる、主が心配を引き受けるので、思い
煩いを一切委ねよと言われた。

不安と恐れは、どこから来るのだろう。湖で、嵐に会い、パニック
になる弟子たちに、主は「信仰が無いのはどうしたことです」と。
嵐でなく、不信仰が原因だと言われた。委ねきれない奥に、不信仰
がある。主を信じられないので、任せられない。自分が手放すと、
何もかもだめになってしまうと思う。そのため握って放せない。

自分で何とか出来ると思っているので、全部が自分の肩にかかり、
身動きが取れなくなる。まず委ねられない自らの無力を認める事
だ。正直に祈って行く時に、主の恵みは十分で、弱さの中に主の力
が働く。主が信仰を与え、信頼を深めて行って下さる。
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心配事を手放したら真っ逆さまに落ちていく気がするが、そこには
主がおられる。主だけがおられる。安心して主に頼ろう。主が必要
を備えてくださる。