2022年12月15日(木)

「・・そのために私は、高ぶることのないように、肉体に一つのと げを与えられました」Uコリント12:7



パウロはとげが取り去られるよう切に祈ったが、とげは取り去られ
ず、病気はいやされなかった。それが答えであった。主は私達が願
うところを超えて、良きものを与えて下さる。そのパウロには、医
者ルカを同行させ、テモテやテトスを助け手と与えられた。そして
何より絶えず主の臨在で弱さをおおうと約束された。

私達もどうだろう。切に願うものが与えられない場合がある。
「ノー」の答えがある。だがそれは祈りが聞かれていないのではな
い。違う形で答えられているのだ。私たちは色々な事を思い煩う。
健康、経済的な事、子ども、年老いた親の事、対人関係、仕事・・
様々な状況が次々と起きる。祈るがなかなか答えられないと思う事
がある。

幾ら祈っても状況が変わらない。しかし主の答えは、その困難な状
況のまっただ中で、平安を与えて下さる事だ。状況は変わらない
が、御言葉を与え、心を変えて、平安にして下さる。世が決して与
える事の出来ない「主の平安」を下さる。この平安があれば、どん
な状況の中でも生きて行ける。祈りの答えとして、主の御心なら状
況が変えられる。又、状況がそのままなら、心に平安を下さる。

パウロはまず切に祈った。それで主の恵みは十分であり、主の力が
弱さの内に完全に現れるという素晴らしい恵みを知らされた。私た
ちもまずありのまま祈ろう。そして自分の思いとは大きく違うかも
知れない、主からの答えも見張っていよう。
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辛い時は祈るだけで精一杯で自分の思うような答えだけを待ってし
まうが、主の最善は他にあるかもしれない。祈りの答えを見張り、
悟りたい。