2023年06月14日(水)

「・・宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」ルカ2:7



ヨセフと臨月になったマリヤは、住民登録のために故郷ベツレヘム
に向かった。その頃、同じく住民登録をする大勢の旅行者たちで、
宿屋はごった返していた。どこの宿も満員だった。「宿屋には彼ら
のいる場所がなかった」、今にも出産になりそうなマリヤとヨセフ
のための部屋は無かった。又、大変な状況の彼らのために、部屋を
譲る人も誰一人なかった。

救い主の誕生に、皆が無関心で、主を迎える人がいなかった。私た
ちはどうだろう。いつも心はどこに向いているだろう。この世の関
心事で、又、日々の目の前の忙しさで一杯だろうか。求めているも
のはこの世のもの、自分の事やプランで一杯だろうか。そのため、
主のための余地が無いだろうか。御父はこの世界に救い主を送られ
たが、世には御子をお迎えする「場所」がなかった。

皆が自分の事で回っていた。しかし主はそんな私たちのまっただ中
に、救いのために来て下さった。私たち信仰者も、どうだろう。主
のための部屋はどうだろう。リビングに来て頂くのは良いが、心の
奥の部屋はしっかり鍵をかけ、主に入られたくないだろうか。ここ
までは良いが、これ以上は入られたくない部分があるだろうか。

気づいていないか、うすうす気づいているか、はっきり意識してい
るだろうか。主に明け渡したくない心を、そのまま主に告げよう。
主は、わかっていて下さり、手を取って一歩一歩と導いて下さる。
主がぼんやりしている時には、自分の側のさえぎるものを主に渡し
て行く時に、さやかに見えるようにされて行く。そして喜びが満ち
る。
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本音で主に繋がっていないと、主からの慰めや、あわれみも求めず
に過ごしてしまう。求めなければ受け取れないのではないか。主へ
の感謝のない生活になっていく。さえぎるものはなんだろう。