2023年10月15日(日)

「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、 ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じ た。」ヨハネ2:11


当時、ぶどう酒は、結婚式において、なくてはならぬ、非常に重
要なものであった。それが、式の最中に無くなってしまうとは、
有り得ない大失態だ。主役である花婿花嫁の面目まるつぶれだ。
後々まで言い継がれるような失態だ。

私たちの信仰人生でも、時にぶどう酒が無くなるという事態が起
きる。ぶどう酒とは、人生に喜びを与えてくれる喜びの象徴だ。
その喜びの象徴であるぶどう酒が、時に、無くなってしまう。失敗
や過失を犯してしまうし、病気やけが、辛い対人関係、経済的
苦境、離別・・。その時に、どうするだろう。

とにかく自分で何とかしようと、パニックになり、あがいてしまう。
まさに、水からぶどう酒を作り出そうとする。悪戦苦闘するが、
自分でぶどう酒など作れるはずがない。行き詰まり、疲れ果て
る。私たちのする事は、自分でぶどう酒を作ることではない。
マリヤのごとく、まず主に向かって、「ぶどう酒がありません」と
言うことだ。

そして、自分で何とかするのでなく「あの方が言われることを」
まず聞き、言われた事に従うことだ。目を向けるのは、主にで
あって、目の前の状況ではない。その時に、主が働かれる。言
われる通りに従う事は、水かめに水をくむ事だ。そうする時、
主が水をぶどう酒に変えられる。

まず主に目を向け「あの方が言われることを」実行しよう。その
時、みわざを見る。今、「あの方が言われること」があるなら、
すぐに行なおう。主の栄光を現わされる。

・・・・・・・・・・・・・・・・
突然、ぶどう酒が無くなることを経験する。パニックになり、自
分が立ってしまう。何とかしなくてはと、不安と思い思い煩いに
襲われる。「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え」と言われる
主を、まず呼ぼう。