2023年11月14日(火) 「あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照 らされます。」詩篇 18:28
「あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照 らされます。」詩篇 18:28
ある人が証しした。初めて教会へ行った時に「あなたは罪人です」 と説明を受けた。「何と失礼な」と内心、ムッとなった。人一倍真 面目に生きて、人のお世話を懸命にして来た。犯罪など犯していな い。それがどういう事か?だが聖書の学びを続ける中で、その言葉 がずっと耳を離れず「罪人」という事を考えた。 様々思いを巡らす中で、今まで全く考える事もなかった、心の内側 に思いが至った。自分は福祉の仕事をしていて、職場で人々のため に、身を粉にして懸命に頑張っていると思っていた。周囲にもそう 思われ、まさに親切な良い人であり、皆にも感謝されていた。しか し心の内を見た時に、自分は良い人だと思われたい、人に嫌われた くない、人に評価され、認められたいと思っている。 それなら目の前の人々のためなどでなく、自分のためではないか。 人からの賞賛は心地良い。仕事も自己実現できて、生き甲斐ある仕 事がしたいからだ。それなら自己満足ではないか。物腰は低く、決 して表には出さないが、しかし心の中では自分を良い人間と思い、 人々を見下し、さばいているおごり。自分は正しいと思っている自 己義認。 御言葉を学ぶ中で、自己中心、高慢、プライド、虚栄心が示され た。御霊の光が無ければ、罪は決してわからない。こんな事、誰で もしている。当たり前で普通の事だ。何が悪いのかわからない。罪 がわかること自体が大きな恵みであり、御霊が力強く働いていて下 さっている証拠だ。罪がわかる事は感謝なことだ。その罪は赦され るのだから。 -------------- 内側の罪はどこか甘く見て歩んでいたが主に救われ、自分の罪、 内側の闇が明らかにされてくる。示されたら変わっていける。主 の大きな犠牲のゆえに与えられた祝福だ。