2023年12月14日(木)

「ミカがこのレビ人を任命したので、この若者は彼の祭司となり、 ミカの家にいた。」士師記17:12


ミカという人物が、エフライムにいた。家は非常に裕福であり、家
に宮を所有し、後には祭司を雇うほどだった。ミカの母親が、銀千
百枚が盗まれたが、その時、盗んだ者を呪った。だが、盗んだ犯人
が息子だと知ると、一転、態度を変えて、息子を祝福する。一貫性
が無く、自分の都合次第でコロコロ変わり、何でも有りだ。

ミカが盗んだ銀を返した時に、母親は、その銀を聖別して主に献げ
ると言った。しかし、二百枚献げただけで、何とその銀で彫像を作
った。それがミカの母親だった。ミカもミカで、自分の家に宮を作
り、エポデを作り、テラフィムという偶像を作り、何と自分の息子
を祭司にしていた。そこに丁度レビ人が来たので、富の力で、自分
の家の祭司にした。

レビ人も、お金に目がくらみ、アロンの家系しかなれない祭司にな
った。王が無い時、このように、神に対する恐れがなく、偶像礼
拝、秩序の乱れ、混乱、ぐじゃぐじゃだ。「自分の目に正しいと見
える」とは「自分に都合の良い」だ。主の義も、主の御心も無く、
ただ自分に都合の良いように、判断もその場の都合次第で、変えて
行く。

それは「王がない」ためだと。王が無い時に、自分中心、自分の都
合、自分の思いのままに歩んで行く。恐ろしい状態になる。主を自
分の王座に来ていただかないなら、自分自身も同じだ。イスラエル
のように、口では「神」「神」と言いつつも、自分の都合のままに
それて行く。主を心の王座にお迎えし、主の御声に耳を澄まして、
主に従おう。
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本当に迷いやすい者だ。神、神と言いつつ都合の良い事だけが祝福
だと自分の声ばかり聞いているのではないか。謙遜に祈り、御霊の
導きにより神の目にはどうなのかを正していただこう。