2024年01月15日(月)

「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。もし、 私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを 私たちに下さるだろう。あの地には、乳と密とが流れている。」 民数記14:7



エジプトを出たイスラエルの民は、約束の地カナンに向かった。そ
の時に、12人の斥候がカナンに偵察に入った。戻った10人は占領で
きない、民は私たちより強いと言い、ヨシュアとカレブは占領でき
るから、上って行こうと言った。10人の斥候は、相手の力と自分た
ちの能力を比べ、自分たちは敗北すると考えた。相手は強大で、こ
ちらはいなごのようだと。

この判断は妥当に思えたので、全員が従った。彼らは恐れ怯えて、
エジプトで死んだら良かった、この荒野で死んだ方がましだとネガ
ティブ思考に陥った。占領できると言ったヨシュアとカレブには、
何と自分たちの親族さえつかなかった。彼らが占領できると言った
根拠が、主が「カナンを与える」と言われたからだ。見えるところ
ではなく、主の言葉に、約束に立った。

そして、結果的に、主の約束の地カナンに入ったのは、御言葉を信
じたこの2人だけだった。信じなかった皆は、荒野で滅んでしまっ
た。「信じる」ことは重要だ。不信仰とは神を見ずに、神以外のも
のを、問題を見ることだ。信仰とは、状況でなく神を見て、御言葉
を見つめ続けることだ。

約束の御言葉を一心に見つめ続ける時、心に信仰が湧き、不信仰を
退ける。信仰とは主と御言葉を見つめ、不信仰とは問題を見るこ
と。今、どちらを見ているだろう。御霊の助けを求めて祈ろう。信
じない者にならないで、信じる者とされよう。
----------
見えるものは強烈で気持ちはあっという間に引っ張られてしまう。
御霊の助けを祈ろう。そこから主の御約束に導かれる。今見えて
いる環境は主によって一瞬で変わる。信じよう。