2024年02月13日(火)

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配 します。」マタイ6:34


主は、モーセに導かれてエジプトを出た民たちを、荒野に導かれ、
そこで40年間養われた。何も無い荒野で、天からマナを降らせられ
た。それを毎日1日分だけを集めよと。今日の分だけだ。6日目だ
けは2倍集めたるようにと。翌7日目は安息日で、集める事ができ
ないからと。しかしある人々は、命令を聞かずに、翌日の分まで取
り込み、残しておいた。が、それは虫がわき、悪臭を放った。

又、ある人々は、6日目に2倍集めないで、安息日に取りに出た。
しかし安息日には、全く何も見つからなかった。主はこの事を通し
て、「わたしの教えてに従って歩むかどうかを試みられ」た。40
年の間、1日たりともマナの無い日はなく、荒野で、主ご自身が民
を養われた。これは「日ごとの糧」を表している。

主はその日の必要を必ず与えて下さる。明日の心配は無用だ。明
日、明後日の糧を求めよとは言っておられない。今日の糧だ。明日
のことは明日が心配する。今日1日の糧があれば充分だ。明日の心
配は無用だ。能天気でよいという意味ではなく、主が心配していて
下さるから無用なのだ。

「あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねなさい。神が・・心配
してくださるからです」の通りに。今日、糧が与えられている事を
精一杯感謝して、明日は主にいっさいお任せしよう。主を信頼して
行く時、主はどんな中も平安と喜びの中に守って下さる。
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今日のいっさいの祝福は主から来る。そう認めていても明日の心配
がやってくる。この弱さをご存じで、主は今を支えてくださってい
る。主を信頼し、明日の祝福を信じていよう。