2024年03月15日(金) 「人の子よ。わたしが、彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、 愛するもの、心に慕うもの、彼らの息子や娘たちを取り去る日・・」 エゼキエル24:25
「人の子よ。わたしが、彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、 愛するもの、心に慕うもの、彼らの息子や娘たちを取り去る日・・」 エゼキエル24:25
世の人々は災いを非常に恐れ、災いが無いようにと信心する。しか しまことの神は違う。天の父は悪い人にも良い人にも太陽を上ら せ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせる。だから平等だ。 どうだろう。主を信仰するなら、すべて商売は繁盛、病気やけがは 無く、受験はいつも合格、畑は常に豊作、大金持ちになるなら、誰 も彼もが、皆、信仰するのではないだろうか。 しかし主は、私たちにとり、不都合な事態も備えておられる。思い 通りにならない、辛い事柄が起きる。だがそれは試練であって豊か な祝福とされる。私達の信仰は、火で精錬される必要があると。 火の精錬により、金や銀から不純物が溶かされる。試練の時に初め て、自分自身の心があらわになる。順境の時には知ることが無い。 主は心の何もかもをご存じであるが、自分が知らない。その自分の 本当の姿を見せられる。口先と、建前の思いとは異なるものだ。本 音では何を求め、何を慕い、何を頼り、何が喜びなのか。自分の力 としているものは、本当は何なのか。真に愛しているものは、執着 しているものは。平穏な時には決して出て来ない、心の本音が現わ れ出る。 自らの本当の姿を知る。これに気づき、主の御前に認めて行く時 に、一段階〃成長が与えられて行く。自分の真の姿を知る事は、心 砕かれる、非常に痛い事であるが、それこそが、大きな祝福へと続 く。更に主と近く、親しく歩む者と造り変えられて行く。 ------------ 主の取り扱いがなければ、どこまでも試練を避けようとする者だ。 自分の本音に光が当たる事は痛いけれど感謝したい。それでも愛 されている事を知れる。主に手渡していける。