2024年04月14日(日)

「あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正し いさばきをしてくださいます。」ルカ18:8


ここに出て来る裁判官は、神を恐れず、人を人とも思わない人物だ。
しかし、裁判官である職務と立場は、法律に乗っ取って裁くという
事だ。人格的にはこんな人物だが、やもめが、余りにもひっきりな
しにやって来て、うるさい。これ以上うるさいのはへきえきで、
うっとうしく、自分が困るので裁判をする事にした。

ここで言っているのは、こんな人物だが、嫌気が差し、面倒だから
の理由で裁判をする。であれば、ましてや完全な愛と完全な義を持
っておられる主が、正しい裁きをつけずに、放っておかれるわけが
ない。その事を言っている。つまり、こんな人格的に問題のある裁
判官でも、動くのだから「ましてや神は」という事を言いたい。

完全な愛と配慮を施して下さり、常に私たちのベストを考えて下さ
っている主なので、失望は決してあり得ないと。祈りの熱心さ以前
に、祈る相手が、どんなお方かが重要だ。神はすみやかに彼らのた
めに正しいさばきをして下さる。

「パンを三つ貸してくれ」と決して諦めず、しつこく頼み続けて、
パンを手にした人も、友達だからでなく、執ようさのゆえに勝ち取
った。この箇所でも、しかし神はそうではなく、子だから良いもの
を下さると言っている。ガンガン頼むからでなく、子だからだと。

だからこそ御子を賜うほどに愛し、最善をして下さる神に、決して
失望する事なく信頼し続けられる。祈りの量でなく、子だから、愛
しているから、いつも必要をご存じで、祈りに答えようと待ってい
て下さる。何と幸いで、平安な事だろう。

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しつこくガンガン、長時間祈るから、祈りに答えて下さるのでなく、
子として愛して下さっているから、与えて下さる。そこに信頼感
がある。どうであれ良いものを下さる、最善をして下さると主を
信じる時、自分自身に平安が来る。