2024年06月13日(木)

「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを 教えるために・・」ルカ18:1



私たちは祈っているが、どうだろう。幾ら祈っても、答えば無い時
があるだろうか。祈って、祈っているのだが、なかなか祈りが、聞
かれないと思う時がある。祈るのだが、答えがない。一体どうなっ
たいるのかわからない、まるで放っておかれているように感じる。
しかし主は、祈りを聞かれている。どんな小さな祈りにも、しっか
り耳を傾けて下さっている。

すぐに答えられる祈りがあり、「ノー」が答えの祈りがあり、祈り
続ける事が求められる祈りがある。その場合は、決して失望しない
で、祈り続けるようにと。祈り続ける事によって、様々な事を学ば
され、訓練されるからだ。答えがなかなか来ないで、引き延ばさ
れ、祈り続ける事により忍耐が養われる。忍耐の無い者から、忍耐
できる者へと変えられて行く。

そして時間をかける中で、自らの動機があらわにされて行く。全く
気づかなかった自己中心、肉の欲に気づかされ、自分の姿が見せら
れる。虚栄心、プライド、体面、動機に不純物があることを知る。
悔い改めに導かれ、きよめられて行く。自分の欲の願いでなく、御
心が成るようにと、祈りが変えられて行き、自分が変えられて行
く。

それは、時間をかけて祈り続ける中でしか、得られないものだ。祈
りの答えと共に、遙かに素晴らしい霊的成長が与えられる。途中で
祈りを止めてしまうなら、これらを逃してしまう。祈り続けよう。
動機を矯正し、御心へと祈りを導き、答えを下さる。
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自分の思いばかり強く「イエス」の答えだけを見つめて祈ってしま
うが、長く待たされると、不思議に祈りが変えられてくる。祈りは
主に届いている。感謝だ。主のあわれみは尽きない。