2024年09月14日(土)

「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださ いました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴 隷のくびきを負わせられないようにしなさい」ガラテヤ5:1



私たちが、就職試験を受ける時はどうだろう。「何が出来るか」
「何が得意か」「特技は?」「資格は?」、これらが就職試験で問
われ、有利になる。もし、「何も出来ません」「あれも、これも出
来ません」「特技は何も無し」と言えばどうだろう。この世では、
能力のある者、出来る者が尊ばれる。

しかし主の目はどうだろう。主の目は、何を見ておられるのだろ
う。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と言われる。「わたし
はあなたを愛している」と。何が出来るか、出来ないか、何を持
つか、持たないかは、いっさい関係が無い。「わたしの目には、
あなたは高価で尊い」と、付加価値をつけたあなたでなく、今、
そのままのあなたの事を言っておられる。

この世の価値観は、良い子が愛され、悪い子は認められない。悪
い子が、良い子になれば愛される。私たちも、培われた根深い価
値観があり、良い子になれば認められ、受け入れてもらえるの
だと思う。そのため、クリスチャンになってからも、愛してもらいた
くて、主に認めてもらいたくて、そのために善行を行なおうとする。
これは主から離れ、恵みから落ちていて、間違っている。

律法の下に身を置く事になり、平安も喜びも失う。愛をもらうため
に善行をするのでなく、すでに愛されているから、その愛に感謝の
ゆえに、善行をする。これが恵みだ。いつもこの恵みにとどまるよ
うにと。主から目を離すと、古い価値観に、律法に陥る。この恵み
に目が開かれるよう、御霊によって教えられるよう祈ろう。

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御言葉の価値観は、この世の価値観と相反する。根深い価値観
があり、常に御言葉によって、繰り返し〃立ち返り、根づかせられ
るように。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」、主の言葉を
かみしめ、握りしめ、反すうし、目に焼きつけよう。